古くから西国一の海苔産地として名をはせた広島湾は、波穏やかな入り江に太田川から豊かな栄養分が注ぎこみ、かつて海苔の養殖に願ってもない漁場でした。明治12年には水揚げ量で全国1位、売上高で2位を記録。当時広島湾の海苔がいかに名を知られたものだったかを歴史の中に知ることができます。
第二次世界大戦で一時その漁場としての機能を低下させていたものの、戦後再びスタートを切った海苔養殖は、昭和44年には全国の生産量の25%を占めるまでに復活。しかしその後徐々に海苔の養殖業は失速を余儀なくされていきます。その主たる原因となったのは、産業の発達でした。明治期から始まった広島湾の干潟埋め立ては、昭和期に入り湾岸開発として加速。海苔の養殖に適した浅瀬が姿を消していくに伴い、海苔漁場の中心は九州へと変わっていきます。海苔産地としての地位を失っていった広島地区産の海苔の歴史は、昭和55年を最後に、幕を閉じることとなりました。
味付け海苔の製造が東京以外の地で初めて成功したのは大正10年、大村千代吉という人物の功績によるものです。広島で海苔の養殖業を営んでいた大村は、ある日広島のデパートで東京の味付け海苔に出会い、そのおいしさに衝撃を受けます。それ以降、味海苔の知識が皆無の状態にもかかわらず、味海苔開発を決意。試行錯誤を重ね、遂に広島初の味海苔の開発にこぎつけました。大村が至った味付け海苔の製法は結果として東京式のものと大差ありませんでしたが、当時東京式が醤油、味醂、ザラメで味付けをしていたのに対し、大村は味付けに広島の家庭で一般的に行われていたエビやイリコだしを使用。この工夫が功を奏し、遂に東京の味海苔に勝る品質の味海苔開発にこぎつけます。
開発に成功したとはいえ、初期の味のりは一枚一枚タレを刷毛で塗り、手であぶるものでした。この手間を、独自の機器を開発することで効率化に成功。遂に味付け海苔を専業とするに至ります。広島市内で料理屋、旅館、乾物問屋などに味付け海苔を販売したところ、その美味しさから予想を超える反響を受けることになりました。開発当初は地元瀬戸内海の海苔を使用していましたが、次第に当時の広島式の油分を含んだ海苔が味付け海苔の製法にフィットしないことが明らかになり、全国に海苔を求めること数年。次第に九州産の海苔の買い付けに落ち着いていきます。
大村の成功により、味海苔の生産に名乗りを上げるものが地元から次々と現れます。昭和2年の記録では、8社で350万枚の味海苔を製造。大村による味付け海苔開発からわずか14年後の昭和10年には広島県加工海苔協同業組合が誕生しました。製造者が増えるにつれ、味海苔の販売方法もより大衆に受け入れられる方向に変化していきました。更に昭和15年頃、高値の海苔原料を大量に買い込んだ問屋が、海苔をさばききれなくなり、その窮状を打破するため一気に海苔加工業へ参入。これによって、東の東京、中央の大阪に対抗する「西の広島」としての海苔商業圏が形成されます。
第二次世界大戦中、西の要であった広島の海域は主に軍事用として使用されており、他の生産地に比べても海苔生産量の低下著しく、大きなダメージを受けます。その間養殖場を追われた海苔の生産者、海苔問屋、浜問屋たちが収入を得るために海苔の加工に加わったケースも多く、さまざまな歴史的背景の中で広島の海苔加工業は発達を遂げてきました。
これらの歴史的背景が、海苔の漁場の喪失をもって尚、多くの海苔加工業者が広島に存在する現在につながっております。大村が開発した出汁を効かせた広島式味付け海苔の美味は日本全国に浸透し、これが広島に端を発するものだということが知られない程、一般的なものとなりました。
ヒビサシの風景
水深の深い場所では女竹を垂直に立て、海苔の生育を待った。満潮時、水面から程良い光が入る場所が海苔の生長に最良とされ、高さや間隔などの調整が行われた。(昭和34年11月撮影)
ヒビサシ作業
浅い干潟では海苔ヒビ用の女竹あるいは真竹の枝を海中に斜めにさし込む。この作業をヒビサシと言う。(昭和34年11月撮影)
ヒビサシ後の風景
ヒビサシの風景を黄金山中腹から撮影。昭和50年ごろまで、瀬戸内海の広島弯にはこのような海苔の漁場風景があった。(撮影年月不明)
海苔とりの風景
厳寒期、大潮の前後3日間に、海苔とりが行われた。短かい干潮期を狙っての作業であった。海苔とりに使用されている道具は海苔採り桶。(撮影年月不明)
海苔すき
海苔は洗い桶などに入れ真水で洗い、ミンチを通し、細かくきざみ、海苔すき桶に入れてス簾枠にいれた簾に入れ込む。注:簾とは巻き簀の簾の意(昭和35年1月撮影)
海苔干し
すいたスは1枚1枚カケヤ、カケダイやダチンなどと呼ばれる干し台にさし込み、晴天の日の場合で半日から1日乾燥させる。(昭和35年1月撮影)
海苔干し場
その日の風向きや風の強さによって掛け台の向きや立掛けの角度が決められる。冬の天気は急変するため、絶えず点検する必要があった。(昭和36年2月撮影)
海苔へぎ
竹簀(たけさく)を斜めに両手で動かし、竹べらでのりの端を押さえて簾をめくるようにして上手にへぐ。「へぐ」とは注:「へぐ」とは広島弁で「はぐ」の意(撮影年月不明)